正文 一 - 5

或る日例のごとく吾輩と黒は暖かい茶畠(ちゃばたけ)の中で寝転(ねころ)びながらいろいろ雑談をしていると、彼はいつもの慢話(じまんばな)しをさも新しそうに繰り返したあとで、吾輩に向って(しも)のごとく質問した。「御めえは今までに鼠を何匹とったがある」智識は黒よりも余程発達しているつもりだが腕力と勇気とに至っては底(とうてい)黒の比較にはならないと覚悟はしていたものの、この問に接したる時は、さすがに極(きま)りが善(よ)くはなかった。けれども実は実で詐(いつわ)る訳には行かないから、吾輩は「実はとろうとろうと思ってまだ捕(と)らない」と答えた。黒は彼の鼻の先からぴんと突張(つっぱ)っている長い髭(ひげ)をびりびりと震(ふる)わせて非常に笑った。元黒は慢をする丈(だけ)にどこか足りないところがあって、彼の気焔(きえん)を感したように咽喉(のど)をころころ鳴らして謹聴していればはなはだ御(ぎょ)しやすい猫である。吾輩は彼と近付になってから直(すぐ)にこの呼吸を飲み込んだからこの場合にもなまじい己(おの)れを弁護してますます形勢をわるくするのも愚(ぐ)である、いっその彼に分の手柄話をしゃべらして御茶を濁すに若(し)くはないと思案を定(さだ)めた。そこでおとなしく「君などは年が年であるから分(だいぶん)とったろう」とそそのかして見た。果彼は墻壁(しょうへき)の欠所(けっしょ)に吶喊(とっかん)してた。「たんとでもねえが三四十はとったろう」とは意気なる彼の答であった。彼はなお語をつづけて「鼠の百や二百は一人でいつでも引き受けるがいたちってえ奴は手に合わねえ。一度いたちに向って酷(ひど)い目に逢(あ)った」「へえなるほど」と相槌(あいづち)を打つ。黒はきな眼をぱちつかせて云う。「年の掃除の時だ。うちの亭主が石灰(いしばい)の袋を持って椽(えん)のへ這(は)い込んだら御めえきないたちの野郎が面喰(めんくら)って飛びしたと思いねえ」「ふん」と感して見せる。「いたちってけども何鼠の少しきいぐれえのものだ。こん畜生(ちきしょう)って気で追っかけてとうとう泥溝(どぶ)の中へ追い込んだと思いねえ」「うまくやったね」と喝采(かっさい)してやる。「ところが御めえいざってえ段になると奴め最後(さいご)っ屁(ぺ)をこきゃがった。臭(くせ)えの臭くねえのってそれからってえものはいたちを見るとが悪くならあ」彼はここに至ってあたかも年の臭気を今(いま)なお感ずるごとく前足を揚げて鼻の頭を二三遍なで廻わした。吾輩も少々気の毒な感じがする。ちっと景気を付けてやろうと思って「しかし鼠なら君に睨(にら)まれては百年目だろう。君はあまり鼠を捕(と)るのが名人で鼠ばかり食うものだからそんなに肥って色つやが善いのだろう」黒の御機嫌をとるためのこの質問は不思議にも反対の結果を呈(ていしゅつ)した。彼は喟(きぜん)として息(たいそく)していう。「考(かん)げえるとつまらねえ。いくら稼いで鼠をとったって――一てえ人間ほどふてえ奴は世の中にいねえぜ。人のとった鼠をみんな取りげやがって番へ持って行きゃあがる。番じゃ誰が捕(と)ったか分らねえからそのたんびに五銭ずつくれるじゃねえか。うちの亭主なんか己(おれ)の御蔭でもう壱円五十銭くらい儲(もう)けていやがる癖に、碌(ろく)なものを食わせたもありゃしねえ。おい人間てものあ体(てい)の善(い)い泥棒だぜ」さすが無の黒もこのくらいの理窟(りくつ)はわかると見えてすこぶる怒(おこ)った容子(ようす)で背中の毛を逆立(さかだ)てている。吾輩は少々気味が悪くなったから善い加減にその場を胡魔化(ごまか)して(うち)へ帰った。この時から吾輩は決して鼠をとるまいと決した。しかし黒の子分になって鼠外の御馳走を猟(あさ)ってあるくもしなかった。御馳走を食うよりも寝ていた方が気楽でいい。教師の(うち)にいると猫も教師のような質になると見える。しないと今に胃弱になるかも知れない。

教師といえば吾輩の主人も近頃に至っては底(とうてい)水彩画において望(のぞみ)のないを悟ったものと見えて十二月一日の日記にこんなをかきつけた。

○○と云う人に今日ので始めて逢(であ)った。あの人は分(だいぶ)放蕩(ほうとう)をした人だと云うがなるほど通人(つうじん)らしい風采(ふうさい)をしている。こう云う質(たち)の人は女にかれるものだから○○が放蕩をしたと云うよりも放蕩をするべく余儀なくせられたと云うのが適であろう。あの人の妻君は芸者だそうだ、羨(うらや)ましいである。元放蕩を悪くいう人の部分は放蕩をする資格のないものがい。また放蕩をもって任する連中のうちにも、放蕩する資格のないものがい。これらは余儀なくされないのに無理に進んでやるのである。あたかも吾輩の水彩画に於けるがごときもので底卒業する気づかいはない。しかるにも関せず、分だけは通人だと思って済(すま)している。料理屋の酒を飲んだり待合へ這入(はい)るから通人となりるという論が立つなら、吾輩も一廉(ひとかど)の水彩画になりる理窟(りくつ)だ。吾輩の水彩画のごときはかかない方がましであると同じように、愚昧(ぐまい)なる通人よりも山しの野暮(おおやぼ)の方が遥(はる)かに等だ。

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