正文 二 - 9

「新年の御慶(ぎょけい)目度(めでたく)申納候(もうしおさめそろ)。……」

いつになくが真面目だと主人が思う。迷亭先生の手紙に真面目なのはほとんどないので、この間などは「其後(そのご)別に恋着(れんちゃく)せる婦人も無(これなく)、いず方(かた)より艶書(えんしょ)も参らず、先(ま)ず先(ま)ず無に消光罷(まか)り在り候(そろ)間、乍憚(はばかりながら)御休被候(くださるべくそろ)」と云うのがたくらいである。それに較(くら)べるとこの年始状は例外にも世間的である。

「一寸参堂仕り度(たく)候えども、兄の消極主義に反して、る限り積極的方針を(もっ)て、此千古未曾有(みぞう)の新年を迎うる計画故、毎日毎日目の廻る程の忙、御推察願候(そろ)……」

なるほどあの男のだから正月は遊び廻るのに忙がしいに違いないと、主人は腹の中で迷亭君に同意する。

「昨日は一刻のひまを偸(ぬす)み、東風子にトチメンボーの御馳走(ごちそう)を致さんと存じ候処(そろところ)、生憎(あいにく)材料払底の為(た)め其意を果さず、遺憾(いかん)千万に存候(ぞんじそろ)。……」

そろそろ例の通りになってたと主人は無言で微笑する。

「明日は某男爵の歌留(かるたかい)、明後日は審協の新年宴、其明日は鳥部教授歓迎、其又明日は……」

うるさいなと、主人は読みとばす。

「右のく謡曲、俳句、短歌、新体詩等、の連発にて分の間は、のべつ幕無しに勤致し候(そろ)為め、不已(やむをえず)賀状をて拝趨(はいすう)の礼に易(か)え候段(そろだん)不悪(あしからず)御宥恕(ごゆうじょ)被度候(くだされたくそろ)。……」

別段くるにも及ばんさと、主人は手紙に返をする。

「今度御光の節は久し振りにて晩餐でも供し度(たき)に御座候(そろ)。寒厨(かんちゅう)何の珍味も無候(これなくそうら)えども、せめてはトチメンボーでもと今より掛居候(おりそろ)。……」

まだトチメンボーを振り廻している。失敬なと主人はちょっとむっとする。

「(しか)しトチメンボーは近頃材料払底の為め、ことに依ると間に合い兼候(かねそろ)も計りがたきにつき、其節は孔雀(くじゃく)の舌(した)でも御風味に入れ申候(もうすべくそろ)。……」

両秤(りょうてんびん)をかけたなと主人は、あとが読みたくなる。

「御承知の通り孔雀一羽につき、舌の分量は指の半(なか)ばにも足らぬ程故健啖(けんたん)なる兄の胃嚢(いぶくろ)を充(み)たす為には……」

うそをつけと主人は打ち遣(や)ったようにいう。

「是非共二三十羽の孔雀を捕獲致さざる(べか)らずと存候(ぞんじそろ)。る所孔雀は動物園、浅草花屋敷等には、ちらほら見受け候えども、普通の鳥屋抔(など)には一向(いっこう)見り不申(もうさず)、苦(くしん)此(このこと)に御座候(そろ)。……」

独りで勝手に苦しているのじゃないかと主人は毫(ごう)も感謝の意を表しない。

「此孔雀の舌の料理は往昔(おうせき)羅馬(ローマ)全盛の砌(みぎ)り、一時非常に流行致し候(そろ)ものにて、豪奢(ごうしゃ)風流の極度と平生よりひそかに食指(しょくし)を動かし居候(おりそろ)次御諒察(ごりょうさつ)被候(くださるべくそろ)。……」

何が御諒察だ、馬鹿なと主人はすこぶる冷淡である。

「降(くだ)って十六七世紀の頃迄は全欧を通じて孔雀は宴席に欠くべからざる味と相居候(あいなりおりそろ)。レスター伯がエリザベス女皇(じょこう)をケニルウォースに招待致し候節(そろせつ)も慥(たし)か孔雀を使致し候様(そろよう)記憶致候(いたしそろ)。有名なるレンブラントが画(えが)き候(そろ)饗宴の図にも孔雀が尾を広げたる儘(まま)卓に横(よこた)わり居り候(そろ)……」

孔雀の料理史をかくくらいなら、そんなに忙でもなさそうだと不平をこぼす。

「とにかく近頃のく御馳走の食べ続けにては、さすがの生も遠からぬうちに兄のく胃弱と相(あいな)るは必定(ひつじょう)……」

兄のごとくは余計だ。何も僕を胃弱の標準にしなくても済むと主人はつぶやいた。

「歴史の説によれば羅馬人(ローマじん)は日に二度三度も宴を開き候由(そろよし)。日に二度も三度も方丈(ほうじょう)の食饌(しょくせん)に就き候えば何なる健胃の人にても消化機に不調を醸(かも)すべく、従っては兄のく……」

また兄のごとくか、失敬な。

「(しか)るに贅沢(ぜいたく)と衛生とを両立せしめんと研究を尽したる彼等は不相に量の滋味を貪(むさぼ)ると同時に胃腸を常態に保持するの必を認め、ここに一の秘法を案致し候(そろ)……」

はてねと主人は急に熱になる。

「彼等は食後必ず入浴致候(いたしそろ)。入浴後一種の方法によりて浴前(よくぜん)に嚥(えんか)せるものを悉(ことごと)く嘔吐(おうと)し、胃内を掃除致し候(そろ)。胃内廓清(いないかくせい)の功を奏したる後(のち)又食卓に就(つ)き、飽(あ)く迄珍味を風(ふうこう)し、風し了(おわ)れば又湯に入りて(これ)を吐(としゅつ)致候(いたしそろ)。かくのくすれば物は貪(むさ)ぼり次貪り候(そうろう)も毫(ごう)も内臓の諸機関に障害を生ぜず、一挙両とは此等のを申(もうすべき)かと愚考致候(いたしそろ)……」

なるほど一挙両に相違ない。主人は羨(うらや)ましそうな顔をする。

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