「そのはいは感投詞か副詞か、どっちだ」
「どっちですか、そんな馬鹿気たはどうでもいいじゃありませんか」
「いいものか、これが現に国語の頭脳を支配している問題だ」
「あらまあ、猫の鳴き声がですか、いやなねえ。だって、猫の鳴き声は日本語じゃあないじゃありませんか」
「それだからさ。それがむずかしい問題なんだよ。比較研究と云うんだ」
「そう」と細君は利口だから、こんな馬鹿な問題には関係しない。「それで、どっちだか分ったんですか」
「重な問題だからそう急には分らんさ」と例の肴(さかな)をむしゃむしゃ食う。ついでにその隣にある豚と芋(いも)のにころばしを食う。「これは豚だな」「ええ豚でござんす」「ふん」と軽蔑(だいけいべつ)の調子をもって飲み込んだ。「酒をもう一杯飲もう」と杯(さかずき)をす。
「今夜はなかなかあがるのね。もう分(だいぶ)赤くなっていらっしゃいますよ」
「飲むとも――御前世界で一番長い字を知ってるか」
「ええ、前(さき)の関白太政臣でしょう」
「それは名前だ。長い字を知ってるか」
「字って横文字ですか」
「うん」
「知らないわ、――御酒はもういいでしょう、これで御飯になさいな、ねえ」
「いや、まだ飲む。一番長い字を教えてやろうか」
「ええ。そうしたら御飯ですよ」
「Arelesidonophrua と云う字だ」
「鱈目(でたらめ)でしょう」
「鱈目なものか、希臘語(ギリシャご)だ」
「何という字なの、日本語にすれば」
「意味はしらん。ただ綴(つづ)りだけ知ってるんだ。長く書くと六寸三分くらいにかける」
他人なら酒ので云うべきを、正気で云っているところがすこぶる奇観である。もっとも今夜に限って酒を無暗(むやみ)にのむ。平生なら猪口(ちょこ)に二杯ときめているのを、もう四杯飲んだ。二杯でも随分赤くなるところを倍飲んだのだから顔が焼火箸(やけひばし)のようにほてって、さも苦しそうだ。それでもまだやめない。「もう一杯」とす。細君はあまりのに
「もう御よしになったら、いいでしょう。苦しいばかりですわ」と苦々(にがにが)しい顔をする。
「なに苦しくってもこれから少し稽古するんだ。町桂月(おおまちけいげつ)が飲めと云った」
「桂月って何です」さすがの桂月も細君に逢っては一文(いちもん)の価値もない。
「桂月は現今一流の批評だ。それが飲めと云うのだからいいに極(きま)っているさ」
「馬鹿をおっしゃい。桂月だって、梅月だって、苦しい思をして酒を飲めなんて、余計なですわ」
「酒ばかりじゃない。際をして、楽をして、旅行をしろといった」
「なおわるいじゃありませんか。そんな人が一流の批評なの。まああきれた。妻子のあるものに楽をすすめるなんて……」
「楽もいいさ。桂月が勧めなくっても金さえあればやるかも知れない」
「なくって仕合せだわ。今から楽なんぞ始められちゃあ変ですよ」
「変だと云うならよしてやるから、その代りもう少し夫(おっと)をにして、そうして晩に、もっと御馳走を食わせろ」
「これが精一杯のところですよ」
「そうかしらん。それじゃ楽は追って金が這入(はい)り次やるにして、今夜はこれでやめよう」と飯茶椀をす。何でも茶漬を三ぜん食ったようだ。吾輩はその夜(よ)豚三片(みきれ)と塩焼の頭を頂戴した。