正文 八 - 3

垣のた翌日から、垣のぬ前と同様に彼等は北側の空へぽかりぽかりと飛び込む。但(ただ)し座敷の正面までは深入りをしない。もし追い懸けられたら逃げるのに、少々ひまがいるから、予(あらかじ)め逃げる時間を勘定に入(い)れて、捕(とら)えらるる危険のない所で遊弋(ゆうよく)をしている。彼等が何をしているか東の離れにいる主人には無論目に入(い)らない。北側の空(あきち)に彼等が遊弋している状態は、木戸をあけて反対の方角から鉤(かぎ)の手に曲って見るか、または後架(こうか)の窓から垣根越しに眺(なが)めるよりほかに仕方がない。窓から眺める時はどこに何がいるか、一目(いちもく)明瞭に見渡すがるが、よしや敵を幾人(いくたり)見したからと云って捕える訳には行かぬ。ただ窓の格子(こうし)の中から叱りつけるばかりである。もし木戸から迂回(うかい)して敵を突こうとすれば、足音を聞きつけて、ぽかりぽかりと捉(つら)まる前に向う側へりてしまう。膃肭臍(おっとせい)がひなたぼっこをしているところへ密猟船が向ったような者だ。主人は無論後架で張り番をしている訳ではない。と云って木戸を開いて、音がしたら直ぐ飛びす意もない。もしそんなをやる日には教師を辞職して、その方専門にならなければ追っつかない。主人方の不利を云うと書斎からは敵の声だけ聞えて姿が見えないのと、窓からは姿が見えるだけで手がせないである。この不利を破したる敵はこんな軍略を講じた。主人が書斎に立て籠(こも)っていると探偵した時には、なるべくきな声をしてわあわあ云う。その中には主人をひやかすようなを聞こえよがしに述べる。しかもその声の所を極めて不分明にする。ちょっと聞くと垣の内で騒いでいるのか、あるいは向う側であばれているのか判定しにくいようにする。もし主人が懸けてたら、逃げすか、または始めから向う側にいて知らん顔をする。また主人が後架へ――吾輩は最前からしきりに後架後架ときたない字を使するのを別段の光栄とも思っておらん、実は迷惑千万であるが、この戦争を記述するにおいて必であるからやむをない。――即(すなわ)ち主人が後架へまかり越したと見て取るときは、必ず桐の木の附近を徘徊(はいかい)してわざと主人の眼につくようにする。主人がもし後架から四隣(しりん)に響く音を揚げて怒鳴りつければ敵は周章(あわ)てる気色(けしき)もなく悠(ゆうぜん)と根拠へ引きあげる。この軍略をいられると主人ははなはだ困却する。たしかに這入(はい)っているなと思ってステッキを持って懸けると寂(せきぜん)として誰もいない。いないかと思って窓からのぞくと必ず一二人這入っている。主人は裏へ廻って見たり、後架から覗(のぞ)いて見たり、後架から覗いて見たり、裏へ廻って見たり、何度言っても同じだが、何度云っても同じを繰り返している。奔命(ほんめい)に疲れるとはこのである。教師が職業であるか、戦争が本務であるかちょっと分らないくらい逆(ぎゃくじょう)してた。この逆の頂点に達した時に(しも)の件がったのである。

件は概逆からる者だ。逆とは読んで字のごとく逆(さ)かさに(のぼ)るのである、この点に関してはゲーレンもパラセルサスも旧弊なる扁鵲(へんじゃく)も異議を唱(とな)うる者は一人もない。ただどこへ逆(さ)かさに(のぼ)るかが問題である。また何が逆かさにるかが議論のあるところである。古欧洲人の伝説によると、吾人の体内には四種のが循環しておったそうだ。一に怒(どえき)と云う奴(やつ)がある。これが逆かさにると怒(おこ)りす。二に鈍(どんえき)と名づくるのがある。これが逆かさにると神経が鈍(にぶ)くなる。次には憂(ゆうえき)、これは人間を陰気にする。最後が血(けつえき)、これは四肢(しし)を壮(さか)んにする。その後(ご)人文が進むに従って鈍、怒、憂はいつの間(ま)にかなくなって、現今に至っては血だけが昔のように循環していると云う話しだ。だからもし逆する者があらば血よりほかにはあるまいと思われる。しかるにこの血の分量は個人によってちゃんと極(き)まっている。分によって少の増減はあるが、まず抵一人前に付五升五合の割合である。だによって、この五升五合が逆かさにると、ったところだけは熾(さか)んに活動するが、その他の局部は欠乏を感じて冷たくなる。ちょうど番焼打の時巡査がことごとく警察署へ集って、町内には一人もなくなったようなものだ。あれも医から診断をすると警察の逆と云う者である。でこの逆を癒(い)やすには血を従前のごとく体内の各部へ平均に分配しなければならん。そうするには逆かさにった奴をへ降(おろ)さなくてはならん。その方にはいろいろある。今は故人となられたが主人の先君などは濡(ぬ)れ手拭(てぬぐい)を頭にあてて炬燵(こたつ)にあたっておられたそうだ。頭寒足熱(ずかんそくねつ)は延命息災の徴と傷寒論(しょうかんろん)にもている通り、濡れ手拭は長寿法において一日も欠くべからざる者である。それでなければ坊主の慣する手段を試みるがよい。一所不住(いっしょふじゅう)の沙門(しゃもん)雲水行脚(うんすいあんぎゃ)の衲僧(のうそう)は必ず樹石を宿(やど)とすとある。樹石とは難行苦行のためではない。全くのぼせを(さ)げるために六祖(ろくそ)が米を舂(つ)きながら考えした秘法である。試みに石のに坐ってご覧、尻が冷えるのはり前だろう。尻が冷える、のぼせががる、これまたの順序にして毫(ごう)も疑を挟(さしはさ)むべき余はない。かようにいろいろな方法をいてのぼせをげる工夫は分(だいぶ)発明されたが、まだのぼせを引きす良方が案されないのは残念である。一概に考えるとのぼせは損あって益なき現象であるが、そうばかり速断してならん場合がある。職業によると逆はよほど切な者で、逆せんと何にもないがある。その中(うち)でもっとも逆を重んずるのは詩人である。詩人に逆が必なるは汽船に石炭が欠くべからざるような者で、この供給が一日でも途切れると彼れ等は手を拱(こまぬ)いて飯を食うよりほかに何等のもない凡人になってしまう。もっとも逆は気違の異名(いみょう)で、気違にならないと業(かぎょう)が立ち行かんとあっては世間体(せけんてい)が悪いから、彼等の仲間では逆を呼ぶに逆の名をもってしない。申し合せてインスピレーション、インスピレーションとさも勿体(もったい)そうに称(とな)えている。これは彼等が世間を瞞着(まんちゃく)するために製造した名でその実は正に逆である。プレートーは彼等の肩を持ってこの種の逆を神聖なる狂気と号したが、いくら神聖でも狂気では人が相手にしない。やはりインスピレーションと云う新発明の売薬のような名を付けておく方が彼等のためによかろうと思う。しかし蒲鉾(かまぼこ)の種が山芋(やまいも)であるごとく、観音(かんのん)の像が一寸八分の朽木(くちき)であるごとく、鴨南蛮(かもなんばん)の材料が烏であるごとく、宿屋の牛鍋(ぎゅうなべ)が馬であるごとくインスピレーションも実は逆である。逆であって見れば臨時の気違である。巣鴨へ入院せずに済むのは単に臨時気違であるからだ。ところがこの臨時の気違を製造するが困難なのである。一生涯(いっしょうがい)の狂人はかえって安いが、筆を執(と)って紙に向う間(あいだ)だけ気違にするのは、いかに巧者(こうしゃ)な神様でもよほど骨が折れると見えて、なかなか拵(こしら)えて見せない。神がってくれんは力で拵えなければならん。そこで昔から今日(こんにち)まで逆術もまた逆とりのけ術と同じく(おおい)に者の頭脳を悩ました。ある人はインスピレーションをるために毎日渋柿を十二個ずつ食った。これは渋柿を食えば便秘する、便秘すれば逆は必ずるという理論からたものだ。またある人はかん徳利を持って鉄砲風呂(てっぽうぶろ)へ飛び込んだ。湯の中で酒を飲んだら逆するに極(きま)っていると考えたのである。その人の説によるとこれで功しなければ葡萄酒(ぶどうしゅ)の湯をわかして這入(はい)れば一返(ぺん)で功があると信じ切っている。しかし金がないのでつい

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