正文 八 - 11

「ええ、そう云う療法もあります」

「今でもやるんですか」

「ええ」

「催眠術をかけるのはむずかしいものでしょうか」

「なに訳はありません、(わたし)などもよく懸けます」

「先生もやるんですか」

「ええ、一つやって見ましょうか。誰でも懸(かか)らなければならん理窟(りくつ)のものです。あなたさえ善(よ)ければ懸けて見ましょう」

「そいつは面白い、一つ懸けてさい。(わたし)もとうから懸かって見たいと思ったんです。しかし懸かりきりで眼が覚(さ)めないと困るな」

「なに丈夫です。それじゃやりましょう」

相談はたちまち一決して、主人はいよいよ催眠術を懸けらるるとなった。吾輩は今までこんなを見たがないからひそかに喜んでその結果を座敷の隅から拝見する。先生はまず、主人の眼からかけ始めた。その方法を見ていると、両眼(りょうがん)の瞼(うわまぶた)をからへと撫(な)でて、主人がすでに眼を眠(ねむ)っているにも係(かかわ)らず、しきりに同じ方向へくせを付けたがっている。しばらくすると先生は主人に向って「こうやって、瞼(まぶた)を撫でていると、だんだん眼が重たくなるでしょう」と聞いた。主人は「なるほど重くなりますな」と答える。先生はなお同じように撫でおろし、撫でおろし「だんだん重くなりますよ、ようござんすか」と云う。主人もその気になったものか、何とも云わずに黙っている。同じ摩擦法はまた三四分繰り返される。最後に甘木先生は「さあもう開(あ)きませんぜ」と云われた。哀(かわいそう)に主人の眼はとうとう潰(つぶ)れてしまった。「もう開かんのですか」「ええもうあきません」主人は黙(もくねん)として目を眠っている。吾輩は主人がもう盲目(めくら)になったものと思い込んでしまった。しばらくして先生は「あけるなら開いて御覧なさい。とうていあけないから」と云われる。「そうですか」と云うが早いか主人は普通の通り両眼(りょうがん)を開いていた。主人はにやにや笑いながら「懸かりませんな」と云うと甘木先生も同じく笑いながら「ええ、懸りません」と云う。催眠術はついに不功に了(おわ)る。甘木先生も帰る。

その次にたのが――主人のうちへこのくらい客のたはない。際の少ない主人のにしてはまるで嘘(うそ)のようである。しかしたに相違ない。しかも珍客がた。吾輩がこの珍客のを一言(いちごん)でも記述するのは単に珍客であるがためではない。吾輩は先刻申す通り件の余瀾(よらん)を描(えが)きつつある。しかしてこの珍客はこの余瀾を描くに方(あた)って逸すべからざる材料である。何と云う名前か知らん、ただ顔の長いに、山羊(やぎ)のような髯(ひげ)を生(は)やしている四十前後の男と云えばよかろう。迷亭の者たるに対して、吾輩はこの男を哲者と呼ぶつもりである。なぜ哲者と云うと、何も迷亭のように分で振り散らすからではない、ただ主人と対話する時の様子を拝見しているといかにも哲者らしく思われるからである。これも昔(むか)しの同窓と見えて両人共(ふたりとも)応対振りは至極(しごく)打(う)ち解(と)けた有様だ。

「うん迷亭か、あれは池に浮いてる金魚麩(きんぎょふ)のようにふわふわしているね。せんだって友人を連れて一面識もない華族の門前を通行した時、ちょっと寄って茶でも飲んで行こうと云って引っ張り込んだそうだが随分呑気(のんき)だね」

「それでどうしたい」

「どうしたか聞いても見なかったが、――そうさ、まあ稟(てんぴん)の奇人だろう、その代り考も何もない全く金魚麩だ。鈴木か、――あれがくるのかい、へえー、あれは理窟(りくつ)はわからんが世間的には利口な男だ。金時計はげられるたちだ。しかし奥行きがないから落ちつきがなくって駄目だ。円滑(えんかつ)円滑と云うが、円滑の意味も何もわかりはせんよ。迷亭が金魚麩ならあれは藁(わら)で括(くく)った蒟蒻(こんにゃく)だね。ただわるく滑(なめら)かでぶるぶる振(ふる)えているばかりだ」

主人はこの奇警(きけい)な比喩(ひゆ)を聞いて、(おおい)に感したものらしく、久し振りでハハハと笑った。

「そんなら君は何だい」

「僕か、そうさな僕なんかは――まあ薯(じねんじょ)くらいなところだろう。長くなって泥の中に埋(うま)ってるさ」

「君は始終泰として気楽なようだが、羨(うらや)ましいな」

「なに普通の人間と同じようにしているばかりさ。別に羨まれるに足るほどのもない。ただありがたいに人を羨む気もらんから、それだけいいね」

「計は近頃豊かかね」

「なに同じさ。足るや足らずさ。しかし食うているから丈夫。驚かないよ」

「僕は不愉快で、肝癪(かんしゃく)がってたまらん。どっちを向いても不平ばかりだ」

「不平もいいさ。不平がったらしてしまえば分はいい持ちになれる。人間はいろいろだから、そう分のように人にもなれと勧めたって、なれるものではない。箸(はし)は人と同じように持たんと飯が食いにくいが、分の麺麭(パン)は分の勝手に切るのが一番合がいいようだ。手(じょうず)な仕立屋で着物をこしらえれば、着たてから、からだに合ったのを持ってくるが、手(へた)の裁縫屋(したてや)に誂(あつら)えたら分は我慢しないと駄目さ。しかし世の中はうまくしたもので、着ているうちには洋服の方で、こちらの骨格に合わしてくれるから。今の世に合うように等な両親が手際(てぎわ)よく生んでくれれば、それが幸福なのさ。しかし損(できそ)こなったら世の中に合わないで我慢するか、または世の中で合わせるまで辛抱するよりほかにはなかろう」

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