正文 十 - 10

「岩崎のような顔ってどんな顔なの?」

「ただきな顔をするんでしょう。そうして何もしないで、また何も云わないで蔵の周(まわ)りを、きな巻煙草(まきたばこ)をふかしながら歩行(ある)いているんですとさ」

「それが何になるの?」

「蔵様を煙(けむ)に捲(ま)くんです」

「まるで噺(はな)し(か)の洒落(しゃれ)のようね。首尾よく煙(けむ)に捲(ま)いたの?」

「駄目ですわ、相手が石ですもの。ごまかしもたいていにすればいいのに、今度は殿さまに化けてたんだって。馬鹿ね」

「へえ、その時分にも殿さまがあるの?」

「有るんでしょう。八木先生はそうおっしゃってよ。たしかに殿様に化けたんだって、恐れいだが化けてたって――一不敬じゃありませんか、法螺吹(ほらふ)きの分際(ぶんざい)で」

「殿って、どの殿さまなの」

「どの殿さまですか、どの殿さまだって不敬ですわ」

「そうね」

「殿さまでも利(き)かないでしょう。法螺吹きもしようがないから、とても(わたし)の手際(てぎわ)では、あの蔵はどうするもませんと降参をしたそうです」

「いい気味ね」

「ええ、ついでに懲役(ちょうえき)にやればいいのに。――でも町内のものは層気を揉(も)んで、また相談を開いたんですが、もう誰も引き受けるものがないんで弱ったそうです」

「それでおしまい?」

「まだあるのよ。一番しまいに車屋とゴロツキを勢雇って、蔵様の周(まわ)りをわいわい騒いであるいたんです。ただ蔵様をいじめて、いたたまれないようにすればいいと云って、夜昼替(こうたい)で騒ぐんだって」

「御苦労様ですこと」

「それでも取り合わないんですとさ。蔵様の方も随分強情ね」

「それから、どうして?」ととん子が熱に聞く。

「それからね、いくら毎日毎日騒いでも験(げん)が見えないので、分(だいぶ)みんなが厭(いや)になってたんですが、車夫やゴロツキは幾日(いくんち)でも日(にっとう)になるだから喜んで騒いでいましたとさ」

「雪江さん、日ってなに?」とすん子が質問をする。

「日と云うのはね、御金のなの」

「御金をもらって何にするの?」

「御金を貰ってね。……ホホホホいやなすん子さんだ。――それで叔母さん、毎日毎晩から騒ぎをしていますとね。その時町内に馬鹿竹(ばかたけ)と云って、何(なんに)も知らない、誰も相手にしない馬鹿がいたんですってね。その馬鹿がこの騒ぎを見て御前方(おまえがた)は何でそんなに騒ぐんだ、何年かかっても蔵一つ動かすがないのか、哀(かわいそう)なものだ、と云ったそうですって――」

「馬鹿の癖にえらいのね」

「なかなかえらい馬鹿なのよ。みんなが馬鹿竹(ばかたけ)の云うを聞いて、物はためしだ、どうせ駄目だろうが、まあ竹にやらして見ようじゃないかとそれから竹に頼むと、竹は一も二もなく引き受けたが、そんな邪魔な騒ぎをしないでまあ静かにしろと車引やゴロツキを引き込まして飄(ひょうぜん)と蔵様の前へてました」

「雪江さん飄て、馬鹿竹のお友達?」ととん子が肝(かんじん)なところで奇問を放ったので、細君と雪江さんはどっと笑いした。

「いいえお友達じゃないのよ」

「じゃ、なに?」

「飄と云うのはね。――云いようがないわ」

「飄て、云いようがないの?」

「そうじゃないのよ、飄と云うのはね――」

「ええ」

「そら々良三平(たたらさんぺい)さんを知ってるでしょう」

「ええ、山の芋をくれてよ」

「あの々良さん見たようなを云うのよ」

「々良さんは飄なの?」

「ええ、まあそうよ。――それで馬鹿竹が蔵様の前へて懐手(ふところで)をして、蔵様、町内のものが、あなたに動いてくれと云うから動いてやんなさいと云ったら、蔵様はたちまちそうか、そんなら早くそう云えばいいのに、とのこのこ動きしたそうです」

「妙な蔵様ね」

「それからが演説よ」

「まだあるの?」

十 - 9目录+书签十 - 11