正文 十 - 11

「ええ、それから八木先生がね、今日(こんにち)は御婦人のでありますが、がかような御話をわざわざ致したのは少々考があるので、こう申すと失礼かも知れませんが、婦人というものはとかく物をするのに正面から近を通って行かないで、かえって遠方から廻りくどい手段をとる弊(へい)がある。もっともこれは御婦人に限ったでない。明治の代(よ)は男子といえども、文明の弊を受けて少女的になっているから、よくいらざる手数(てすう)と労力を費(つい)やして、これが本筋である、紳士のやるべき方針であると誤解しているものがいようだが、これ等は開化の業に束縛された畸形児(きけいじ)である。別に論ずるに及ばん。ただ御婦人に在(あ)ってはなるべくただいま申した昔話を御記憶になって、いざと云う場合にはどうか馬鹿竹のような正直な了見で物を処理していただきたい。あなた方が馬鹿竹になれば夫婦の間、嫁姑(よめしゅうと)の間にる忌(いま)わしき葛藤(かっとう)の三分一(さんぶいち)はたしかに減ぜられるに相違ない。人間は魂胆(こんたん)があればあるほど、その魂胆が祟(たた)って不幸の源(みなもと)をなすので、くの婦人が平均男子より不幸なのは、全くこの魂胆があり過ぎるからである。どうか馬鹿竹になってさい、と云う演説なの」

「へえ、それで雪江さんは馬鹿竹になる気なの」

「やだわ、馬鹿竹だなんて。そんなものになりたくはないわ。金田の富子さんなんぞは失敬だって変怒(おこ)ってよ」

「金田の富子さんて、あの向横町(むこうよこちょう)の?」

「ええ、あのハイカラさんよ」

「あの人も雪江さんの校へ行くの?」

「いいえ、ただ婦人だから傍聴にたの。本にハイカラね。どうも驚ろいちまうわ」

「でも変いい器量だって云うじゃありませんか」

「並ですわ。御慢ほどじゃありませんよ。あんなに御化粧をすればたいていの人はよく見えるわ」

「それじゃ雪江さんなんぞはそのかたのように御化粧をすれば金田さんの倍くらいしくなるでしょう」

「あらいやだ。よくってよ。知らないわ。だけど、あの方(かた)は全くつくり過ぎるのね。なんぼ御金があったって――」

「つくり過ぎても御金のある方がいいじゃありませんか」

「それもそうだけれども――あの方(かた)こそ、少し馬鹿竹になった方がいいでしょう。無暗(むやみ)に威張るんですもの。この間もなんとか云う詩人が新体詩集を捧げたって、みんなに吹聴(ふいちょう)しているんですもの」

「東風さんでしょう」

「あら、あの方が捧げたの、よっぽど物数奇(ものずき)ね」

「でも東風さんは変真面目なんですよ。分じゃ、あんなをするのが前(あたりまえ)だとまで思ってるんですもの」

「そんな人があるから、いけないんですよ。――それからまだ面白いがあるの。此間(こないだ)だれか、あの方の所(とこ)へ艶書(えんしょ)を送ったものがあるんだって」

「おや、いやらしい。誰なの、そんなをしたのは」

「誰だかわからないんだって」

「名前はないの?」

「名前はちゃんと書いてあるんだけれども聞いたもない人だって、そうしてそれが長い長い一間ばかりもある手紙でね。いろいろな妙ながかいてあるんですとさ。(わたし)があなたを恋(おも)っているのは、ちょうど宗教が神にあこがれているようなものだの、あなたのためならば祭壇に供える羊となって屠(ほふ)られるのが無の名誉であるの、臓の形(かた)ちが三角で、三角の中にキューピッドの矢が立って、吹き矢ならりであるの……」

「そりゃ真面目なの?」

「真面目なんですとさ。現にわたしの御友達のうちでその手紙を見たものが三人あるんですもの」

「いやな人ね、そんなものを見せびらかして。あの方は寒月さんのとこへ御嫁に行くつもりなんだから、そんなが世間へ知れちゃ困るでしょうにね」

「困るどころですか意よ。こんだ寒月さんがたら、知らしてげたらいいでしょう。寒月さんはまるで御存じないんでしょう」

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