正文 十 - 12

「どうですか、あの方は校へ行って球(たま)ばかり磨いていらっしゃるから、方知らないでしょう」

「寒月さんは本にあの方を御貰(おもらい)になる気なんでしょうかね。御気の毒だわね」

「なぜ?御金があって、いざって時に力になって、いいじゃありませんか」

「叔母さんは、じきに金、金って品(ひん)がわるいのね。金より愛の方がじゃありませんか。愛がなければ夫婦の関係は立しやしないわ」

「そう、それじゃ雪江さんは、どんなところへ御嫁に行くの?」

「そんな知るもんですか、別に何もないんですもの」

雪江さんと叔母さんは結婚件について何か弁論を逞(たくま)しくしていると、さっきから、分らないなりに謹聴しているとん子が突口を開いて「わたしも御嫁に行きたいな」と云いだした。この無鉄砲な希望には、さすが青春の気に満ちて、(おおい)に同情を寄すべき雪江さんもちょっと毒気を抜かれた体(てい)であったが、細君の方は比較的平気に構えて「どこへ行きたいの」と笑ながら聞いて見た。

「わたしねえ、本はね、招魂社(しょうこんしゃ)へ御嫁に行きたいんだけれども、水橋を渡るのがいやだから、どうしようかと思ってるの」

細君と雪江さんはこの名答をて、あまりのに問い返す勇気もなく、どっと笑い崩れた時に、次女のすん子が姉さんに向ってかような相談を持ちかけた。

「御ねえ様も招魂社がすき?わたしもすき。いっしょに招魂社へ御嫁に行きましょう。ね?いや?いやなら(い)いわ。わたし一人で車へ乗ってさっさと行っちまうわ」

「坊ばも行くの」とついには坊ばさんまでが招魂社へ嫁に行くになった。かように三人が顔を揃(そろ)えて招魂社へ嫁に行けたら、主人もさぞ楽であろう。

ところへ車の音ががらがらと門前に留ったと思ったら、たちまち威勢のいい御帰りと云う声がした。主人は日本堤分署から戻ったと見える。車夫が差すきな風呂敷包を女に受け取らして、主人は悠(ゆうぜん)と茶の間へ這入(はい)ってる。「やあ、たね」と雪江さんに挨拶しながら、例の有名なる長火鉢の傍(そば)へ、ぽかりと手に携(たずさ)えた徳利様(とっくりよう)のものを抛(ほう)りした。徳利様と云うのは純たる徳利では無論ない、と云って花活(はない)けとも思われない、ただ一種異様の陶器であるから、やむをずしばらくかように申したのである。

「妙な徳利ね、そんなものを警察から貰っていらしったの」と雪江さんが、倒れた奴をしながら叔父さんに聞いて見る。叔父さんは、雪江さんの顔を見ながら、「どうだ、いい恰(かっこう)だろう」と慢する。

「いい恰なの?それが?あんまりよかあないわ?油壺(あぶらつぼ)なんか何で持っていらっしったの?」

「油壺なものか。そんな趣味のないを云うから困る」

「じゃ、なあに?」

「花活(はないけ)さ」

「花活にしちゃ、口が(ち)いさ過ぎて、いやに胴が張ってるわ」

「そこが面白いんだ。御前も無風流だな。まるで叔母さんと択(えら)ぶところなしだ。困ったものだな」と独(ひと)りで油壺を取りげて、障子(しょうじ)の方へ向けて眺(なが)めている。

「どうせ無風流ですわ。油壺を警察から貰ってくるような真似はないわ。ねえ叔母さん」叔母さんはそれどころではない、風呂敷包を解(と)いて皿眼(さらまなこ)になって、盗難品を検(しら)べている。「おや驚ろいた。泥棒も進歩したのね。みんな、解いて洗い張をしてあるわ。ねえちょいと、あなた」

「誰が警察から油壺を貰ってくるものか。待ってるのが退屈だから、あすこいらを散歩しているうちに堀りしてたんだ。御前なんぞには分るまいがそれでも珍品だよ」

「珍品過ぎるわ。一体叔父さんはどこを散歩したの」

「どこって日本堤(にほんづつみ)界隈(かいわい)さ。吉原へも這入(はい)って見た。なかなか盛(さかん)な所だ。あの鉄の門を観(み)たがあるかい。ないだろう」

「だれが見るもんですか。吉原なんて賤業婦(せんぎょうふ)のいる所へ行く因縁(いんねん)がありませんわ。叔父さんは教師の身で、よくまあ、あんな所へ行かれたものねえ。本に驚ろいてしまうわ。ねえ叔母さん、叔母さん」

「ええ、そうね。どうも品数(しなかず)が足りないようだ。これでみんな戻ったんでしょうか」

「戻らんのは山の芋ばかりさ。元九時に頭しろと云いながら十一時まで待たせる法があるものか、これだから日本の警察はいかん」

「日本の警察がいけないって、吉原を散歩しちゃなおいけないわ。そんなが知れると免職になってよ。ねえ叔母さん」

「ええ、なるでしょう。あなた、の帯の片側(かたかわ)がないんです。何だか足りないと思ったら」

「帯の片側くらいあきらめるさ。こっちは三時間も待たされて、切の時間を半日潰(つぶ)してしまった」と日本服に着代えて平気に火鉢へもたれて油壺を眺(なが)めている。細君も仕方がないと諦(あきら)めて、戻った品をそのまま戸棚へしまい込(こ)んで座に帰る。

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