正文 十 - 17

「する気でもなかったんですが、ついやってしまったんです。退校にならないようにないでしょうか」と武右衛門君は泣きしそうな声をしてしきりに哀願に及んでいる。襖(ふすま)の蔭では最前(さいぜん)から細君と雪江さんがくすくす笑っている。主人は飽(あ)くまでももったいぶって「そうさな」を繰り返している。なかなか面白い。

吾輩が面白いというと、何がそんなに面白いと聞く人があるかも知れない。聞くのはもっともだ。人間にせよ、動物にせよ、己(おのれ)を知るのは生涯(しょうがい)のである。己(おのれ)を知るがさえすれば人間も人間として猫より尊敬を受けてよろしい。その時は吾輩もこんないたずらを書くのは気の毒だからすぐさまやめてしまうつもりである。しかし分で分の鼻の高さが分らないと同じように、己の何物かはなかなか見(けんとう)がつき悪(に)くいと見えて、平生から軽蔑(けいべつ)している猫に向ってさえかような質問をかけるのであろう。人間は生意気なようでもやはり、どこか抜けている。万物の霊だなどとどこへでも万物の霊を担(かつ)いであるくかと思うと、これしきの実が理解ない。しかも恬(てん)として平たるに至ってはちと一 (いっきゃく)を催したくなる。彼は万物の霊を背中(せなか)へ担(かつ)いで、おれの鼻はどこにあるか教えてくれ、教えてくれと騒ぎ立てている。それなら万物の霊を辞職するかと思うと、どう致して死んでも放しそうにしない。このくらい公と矛盾をして平気でいられれば愛嬌(あいきょう)になる。愛嬌になる代りには馬鹿をもって甘(あまん)じなくてはならん。

吾輩がこの際武右衛門君と、主人と、細君及雪江嬢を面白がるのは、単に外部の件が鉢合(はちあわ)せをして、その鉢合せが波動を乙(おつ)なところに伝えるからではない。実はその鉢合の反響が人間のに個々別々の音色(ねいろ)をすからである。一主人はこの件に対してむしろ冷淡である。武右衛門君のおやじさんがいかにやかましくって、おっかさんがいかに君を継子(ままこ)あつかいにしようとも、あんまり驚ろかない。驚ろくはずがない。武右衛門君が退校になるのは、分が免職になるのとは(おおい)に趣(おもむき)が違う。千人近くの生徒がみんな退校になったら、教師も衣食の途(みち)に窮するかも知れないが、古井武右衛門君一人(いちにん)の運命がどう変化しようと、主人の朝夕(ちょうせき)にはほとんど関係がない。関係の薄いところには同情も(おのず)から薄い訳である。見ず知らずの人のために眉(まゆ)をひそめたり、鼻をかんだり、嘆息をするのは、決しての傾向ではない。人間がそんなに情深(なさけぶか)い、思いやりのある動物であるとははなはだ受け取りにくい。ただ世の中に生れてた賦税(ふぜい)として、時々際のために涙を流して見たり、気の毒な顔をって見せたりするばかりである。云わばごまかし(せい)表情で、実を云うと分(だいぶ)骨が折れる芸術である。このごまかしをうまくやるものを芸術的良の強い人と云って、これは世間から変珍重される。だから人から珍重される人間ほど怪しいものはない。試して見ればすぐ分る。この点において主人はむしろ拙(せつ)な部類に属すると云ってよろしい。拙だから珍重されない。珍重されないから、内部の冷淡を存外隠すところもなく発表している。彼が武右衛門君に対して「そうさな」を繰り返しているのでも這裏(しゃり)の消息はよく分る。諸君は冷淡だからと云って、けっして主人のような善人を嫌ってはいけない。冷淡は人間の本の質であって、その質をかくそうと力(つと)めないのは正直な人である。もし諸君がかかる際に冷淡を望んだら、それこそ人間を買い被(かぶ)ったと云わなければならない。正直ですら払底(ふってい)な世にそれを予期するのは、馬琴(ばきん)の説から志乃(しの)や文吾(こぶんご)が抜けだして、向う三軒両隣へ八犬伝(はっけんでん)が引き越した時でなくては、あてにならない無理な注文である。主人はまずこのくらいにして、次には茶の間で笑ってる女連(おんなれん)に取りかかるが、これは主人の冷淡を一歩向(むこう)へ跨(また)いで、滑稽(こっけい)の領分に躍(おど)り込んで嬉しがっている。この女連には武右衛門君が頭痛に病んでいる艶書件が、仏陀(ぶっだ)の福音(ふくいん)のごとくありがたく思われる。理由はないただありがたい。強いて解剖すれば武右衛門君が困るのがありがたいのである。諸君女に向って聞いて御覧、「あなたは人が困るのを面白がって笑いますか」と。聞かれた人はこの問を呈した者を馬鹿と云うだろう、馬鹿と云わなければ、わざとこんな問をかけて淑女の品を侮辱したと云うだろう。侮辱したと思うのは実かも知れないが、人の困るのを笑うのも実である。であるとすれば、これから(わたし)の品を侮辱するようなを分でしてお目にかけますから、何とか云っちゃいやよと断わるのと一般である。僕は泥棒をする。しかしけっして不徳と云ってはならん。もし不徳だなどと云えば僕の顔へ泥を塗ったものである。僕を侮辱したものである。と主張するようなものだ。女はなかなか利口だ、考えに筋が立っている。いやしくも人間に生れるは踏んだり、蹴(け)たり、どやされたりして、しかも人が振りむきもせぬ時、平気でいる覚悟が必であるのみならず、唾を吐きかけられ、糞をたれかけられたに、きな声で笑われるのを快よく思わなくてはならない。それでなくてはかように利口な女と名のつくものと際はない。武右衛門先生もちょっとしたはずみから、とんだ間違をして(おおい)に恐れ入ってはいるようなものの、かように恐れ入ってるものを蔭で笑うのは失敬だとくらいは思うかも知れないが、それは年が行かない稚気(ちき)というもので、人が失礼をした時に怒(おこ)るのを気がさいと先方では名づけるそうだから、そう云われるのがいやならおとなしくするがよろしい。最後に武右衛門君の行きをちょっと紹介する。君は配の権化(ごんげ)である。かの偉なる頭脳はナポレオンのそれが功名をもって充満せるがごとく、まさに配をもってはちきれんとしている。時々その団子っ鼻がぴくぴく動くのは配が顔面神経に伝(つたわ)って、反のごとく無意識に活動するのである。彼はきな鉄砲丸(てっぽうだま)を飲み(くだ)したごとく、腹の中にいかんともすべからざる塊(かた)まりを抱(いだ)いて、この両三日(りょうさんち)処置に窮している。その切なさの余り、別に分別の所(でどころ)もないから監督と名のつく先生のところへ向いたら、どうか助けてくれるだろうと思って、いやな人の(うち)へきな頭をげにまかり越したのである。彼は平生校で主人にからかったり、同級生を煽動(せんどう)して、主人を困らしたりしたはまるで忘れている。いかにからかおうとも困らせようとも監督と名のつくは配してくれるに相違ないと信じているらしい。随分単純なものだ。監督は主人がんでなった役ではない。校長の命によってやむをずいただいている、云わば迷亭の叔父さんの山高帽子の種類である。ただ名前である。ただ名前だけではどうするもない。名前がいざと云う場合に役に立つなら雪江さんは名前だけで見合がる訳だ。武右衛門君はただに我儘(わがまま)なるのみならず、他人は己(おの)れに向って必ず親切でなくてはならんと云う、人間を買い被(かぶ)った仮定から立している。笑われるなどとは思も寄らなかったろう。武右衛門君は監督の(うち)へて、きっと人間について、一の真理を発明したに相違ない。彼はこの真理のために将ますます本の人間になるだろう。人の配には冷淡になるだろう、人の困る時にはきな声で笑うだろう。かくのごとくにしては未の武右衛門君をもって充(み)たされるであろう。金田君及び金田令夫人をもって充たされるであろう。吾輩は切に武右衛門君のために瞬時も早く覚して真人間(まにんげん)になられんを希望するのである。しからずんばいかに配するとも、いかに後悔するとも、いかに善に移るのが切実なりとも、とうてい金田君のごとき功はられんのである。いな社は遠からずして君を人間の居住外に放逐するであろう。文明中の退校どころ

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