正文 十一 - 18

「どうして借りた金を返さずに済ますかが問題である」

「そんな問題はありませんよ。借りたものは返さなくちゃなりませんよ」

「まあさ。議論だから、だまって聞くがいい。どうして借りた金を返さずに済ますかが問題であるごとく、どうしたら死なずに済むかが問題である。いな問題であった。錬金術(れんきんじゅつ)はこれである。すべての錬金術は失敗した。人間はどうしても死ななければならんが分明(ぶんみょう)になった」

「錬金術前から分明ですよ」

「まあさ、議論だから、だまって聞いていろ。いいかい。どうしても死ななければならんが分明になった時に二の問題がる」

「へえ」

「どうせ死ぬなら、どうして死んだらよかろう。これが二の問題である。殺クラブはこの二の問題と共にるべき運命を有している」

「なるほど」

「死ぬは苦しい、しかし死ぬがなければなお苦しい。神経衰弱の国民には生きているが死よりもはなはだしき苦痛である。したがって死を苦にする。死ぬのが厭(いや)だから苦にするのではない、どうして死ぬのが一番よかろうと配するのである。ただたいていのものは智慧(ちえ)が足りないからのままに放擲(ほうてき)しておくうちに、世間がいじめ殺してくれる。しかし一と癖あるものは世間からなし崩しにいじめ殺されて満足するものではない。必(かなら)ずや死に方に付いて種々考究の結果、嶄新(ざんしん)な名案を呈するに違ない。だからして世界向後(こうご)の趨勢(すうせい)は殺者が増加して、その殺者が皆独創的な方法をもってこの世をるに違ない」

「分(だいぶ)物騒(ぶっそう)なになりますね」

「なるよ。たしかになるよ。アーサー·ジョーンスと云う人のかいた脚本のなかにしきりに殺を主張する哲者があって……」

「殺するんですか」

「ところが惜しいにしないのだがね。しかし今から千年も立てばみんな実行するに相違ないよ。万年の後(のち)には死と云えば殺よりほかに存在しないもののように考えられるようになる」

「変なになりますね」

「なるよきっとなる。そうなると殺も分研究が積んで立派な科になって、落雲館のような中校で倫理の代りに殺を正科として授けるようになる」

「妙ですな、傍聴にたいくらいのものですね。迷亭先生御聞きになりましたか。苦沙弥先生の御名論を」

「聞いたよ。その時分になると落雲館の倫理の先生はこう云うね。諸君公徳などと云う野蛮の遺風を墨守(ぼくしゅ)してはなりません。世界の青年として諸君が一に注意すべき義務は殺である。しかして己(おの)れのむところはこれを人に施(ほど)こしてなる訳だから、殺を一歩展開して他殺にしてもよろしい。ことに表の窮措(きゅうそだい)珍野苦沙弥氏のごときものは生きてござるのが分苦痛のように見受けらるるから、一刻も早く殺して進ぜるのが諸君の義務である。もっとも昔と違って今日は開明の時節であるから槍(やり)、薙刀(なぎなた)もしくは飛具の類(たぐい)をいるような卑怯(ひきょう)な振舞をしてはなりません。ただあてこすりの高尚なる技術によって、からかい殺すのが本人のため功徳(くどく)にもなり、また諸君の名誉にもなるのであります。……」

「なるほど面白い講義をしますね」

「まだ面白いがあるよ。現代では警察が人民の生命財産を保護するのを一の目的としている。ところがその時分になると巡査が犬殺しのような棍棒(こんぼう)をもっての公民を撲殺(ぼくさつ)してあるく。……」

「なぜです」

「なぜって今の人間は生命(いのち)がだから警察で保護するんだが、その時分の国民は生きてるのが苦痛だから、巡査が慈悲のために打(ぶ)ち殺してくれるのさ。もっとも少し気の利(き)いたものは概殺してしまうから、巡査に打殺(ぶちころ)されるような奴はよくよく意気なしか、殺の力のない白痴もしくは不具者に限るのさ。それで殺されたい人間は門口(かどぐち)へ張札をしておくのだね。なにただ、殺されたい男ありとか女ありとか、はりつけておけば巡査が合のいい時に巡(まわ)ってきて、すぐ志望通り取計ってくれるのさ。死骸かね。死骸はやっぱり巡査が車を引いて拾ってあるくのさ。まだ面白いがてくる。……」

「どうも先生の冗談(じょうだん)は際限がありませんね」と東風君は(おおい)に感している。すると独仙君は例の通り山羊髯(やぎひげ)を気にしながら、のそのそ弁じした。

「冗談と云えば冗談だが、予言と云えば予言かも知れない。真理に徹底しないものは、とかく眼前の現象世界に束縛せられて泡沫(ほうまつ)の夢幻(むげん)を永久の実と認定したがるものだから、少し飛び離れたを云うと、すぐ冗談にしてしまう」

「燕雀(えんじゃく)焉(いずく)んぞ鵬(たいほう)の志(こころざし)を知らんやですね」と寒月君が恐れ入ると、独仙君はそうさと云わぬばかりの顔付で話を進める。

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