正文 十一 - 20

「かしこまりました。月賦は必ず六十回限りのに致します」

「いや冗談のようだが、実際参考になる話ですよ、寒月君」と独仙君は寒月君に向いだした。「たとえばですね。今苦沙弥君か迷亭君が、君が無断で結婚したのが穏(おんとう)でないから、金田とか云う人に謝罪しろと忠告したら君どうです。謝罪する了見ですか」

「謝罪は御容赦にあずかりたいですね。向うがあやまるなら特別、の方ではそんな慾はありません」

「警察が君にあやまれと命じたらどうです」

「なおなお御免蒙(ごめんこうむ)ります」

「臣とか華族ならどうです」

「いよいよもって御免蒙ります」

「それ見たまえ。昔と今とは人間がそれだけ変ってる。昔は御(おかみ)の御威光なら何でもた時代です。その次には御の御威光でもないものがてくる時代です。今の世はいかに殿でも閣でも、ある程度に個人の人格のにのしかかるがない世の中です。はげしく云えば先方に権力があればあるほど、のしかかられるものの方では不愉快を感じて反抗する世の中です。だから今の世は昔(むか)しと違って、御の御威光だからないのだと云う新現象のあらわれる時代です、昔しのものから考えると、ほとんど考えられないくらいな柄が理で通る世の中です。世態人情の変遷と云うものは実に不思議なもので、迷亭君の未記も冗談だと云えば冗談に過ぎないのだが、その辺の消息を説明したものとすれば、なかなか味(あじわい)があるじゃないですか」

「そう云う知己(ちき)がてくると是非未記の続きが述べたくなるね。独仙君の御説のごとく今の世に御の御威光を笠(かさ)にきたり、竹槍の二三百本を恃(たのみ)にして無理を押し通そうとするのは、ちょうどカゴへ乗って何でも蚊(か)でも汽車と競争しようとあせる、時代後れの頑物(がんぶつ)――まあわからずやの張本(ちょうほん)、烏金(からすがね)の長範先生(ちょうはんせんせい)くらいのものだから、黙って御手際(おてぎわ)を拝見していればいいが――僕の未記はそんな座間に合せの問題じゃない。人間全体の運命に関する社的現象だからね。つらつら目文明の傾向を達観して、遠き将の趨勢(すうせい)を卜(ぼく)すると結婚が不のになる。驚ろくなかれ、結婚の不。訳はこうさ。前(ぜん)申す通り今の世は個中の世である。一を主人が代表し、一郡を代官が代表し、一国を領主が代表した時分には、代表者外の人間には人格はまるでなかった。あっても認められなかった。それががらりと変ると、あらゆる生存者がことごとく個を主張しして、だれを見ても君は君、僕は僕だよと云わぬばかりの風をするようになる。ふたりの人が途中で逢えばうぬが人間なら、おれも人間だぞとの中(うち)で喧嘩(けんか)を買いながら行き違う。それだけ個人が強くなった。個人が平等に強くなったから、個人が平等に弱くなった訳になる。人がおのれを害するがにくくなった点において、たしかに分は強くなったのだが、滅(めった)に人の身のに手しがならなくなった点においては、明かに昔より弱くなったんだろう。強くなるのは嬉しいが、弱くなるのは誰もありがたくないから、人から一毫(いちごう)も犯(おか)されまいと、強い点をあくまで固守すると同時に、せめて半毛(はんもう)でも人を侵(おか)してやろうと、弱いところは無理にも拡(ひろ)げたくなる。こうなると人と人の間に空間がなくなって、生きてるのが窮屈になる。るだけ分を張りつめて、はち切れるばかりにふくれ返って苦しがって生存している。苦しいから色々の方法で個人と個人との間に余裕を求める。かくのごとく人間が業で苦しんで、その苦し紛(まぎ)れに案した一の方案は親子別居の制さ。日本でも山の中へ這入って見給え。一一門(いっけいちもん)ことごとく一軒のうちにごろごろしている。主張すべき個もなく、あっても主張しないから、あれで済むのだが文明の民はたとい親子の間でもお互に我儘(わがまま)を張れるだけ張らなければ損になるから勢(いきお)い両者の安全を保持するためには別居しなければならない。欧洲は文明が進んでいるから日本より早くこの制度が行われている。たまたま親子同居するものがあっても、息子(むすこ)がおやじから利息のつく金を借りたり、他人のように宿料を払ったりする。親が息子の個を認めてこれに尊敬を払えばこそ、こんな風が立するのだ。この風は早晩日本へも是非輸入しなければならん。親類はとくに離れ、親子は今日(こんにち)に離れて、やっと我慢しているようなものの個の発展と、発展につれてこれに対する尊敬の念は無制限にのびて行くから、まだ離れなくては楽がない。しかし親子兄弟の離れたる今日、もう離れるものはない訳だから、最後の方案として夫婦が分れるになる。今の人の考ではいっしょにいるから夫婦だと思ってる。それがきな了見違いさ。いっしょにいるためにはいっしょにいるに充分なるだけ個が合わなければならないだろう。昔しなら文句はないさ、異体同とか云って、目には夫婦二人に見えるが、内実は一人前(いちにんまえ)なんだからね。それだから偕老同(かいろうどうけつ)とか号して、死んでも一つの狸に化ける。野蛮なものさ。今はそうは行かないやね。夫はあくまでも夫で妻はどうしたって妻だからね。その妻が女校で行灯袴(あんどんばかま)を穿(は)いて牢乎(ろうこ)たる個を鍛(きた)えげて、束髪姿で乗り込んでくるんだから、とても夫の思う通りになる訳がない。また夫の思い通りになるような妻なら妻じゃない人形だからね。賢夫人になればなるほど個は凄(すご)いほど発達する。発達すればするほど夫と合わなくなる。合わなければの勢(いきおい)夫と衝突する。だから賢妻と名がつくは朝から晩まで夫と衝突している。まことに結構なだが、賢妻を迎えれば迎えるほど双方共苦しみの程度が増してくる。水と油のように夫婦の間には截(せつぜん)たるしきりがあって、それも落ちついて、しきりが水平線を保っていればまだしもだが、水と油が双方から働らきかけるのだからのなかは震のようにがったりがったりする。ここにおいて夫婦雑居はお互の損だと云うが次に人間に分ってくる。……」

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