正文 十一 - 21

「それで夫婦がわかれるんですか。配だな」と寒月君が云った。

「わかれる。きっとわかれる。の夫婦はみんな分れる。今まではいっしょにいたのが夫婦であったが、これからは同棲(どうせい)しているものは夫婦の資格がないように世間から目(もく)されてくる」

「するとなぞは資格のない組へ編入される訳ですね」と寒月君は際(きわ)どいところでのろけを云った。

「明治の御代(みよ)に生れて幸さ。僕などは未記をるだけあって、頭脳が時勢より一二歩ずつ前へているからちゃんと今から独身でいるんだよ。人は失恋の結果だなどと騒ぐが、近眼者の視(み)るところは実に憐れなほど浅薄なものだ。それはとにかく、未記の続きを話すとこうさ。その時一人の哲者が降(あまくだ)って破荒(はてんこう)の真理を唱する。その説に曰(いわ)くさ。人間は個の動物である。個を滅すれば人間を滅すると同結果に陥(おちい)る。いやしくも人間の意義を完(まった)からしめんためには、いかなる価(あたい)を払うとも構わないからこの個を保持すると同時に発達せしめなければならん。かの陋習(ろうしゅう)に縛せられて、いやいやながら結婚を執行するのは人間の傾向に反した蛮風であって、個の発達せざる蒙昧(もうまい)の時代はいざ知らず、文明の今日(こんにち)なおこの弊竇(へいとう)に陥(おちい)って恬(てん)として顧(かえり)みないのははなはだしき謬見(びゅうけん)である。開化の高潮度に達せる今代(きんだい)において二個の個が普通に親密の程度をもって連結されべき理由のあるべきはずがない。この覩易(みやす)き理由はあるにも関らず無教育の青年男女が一時の劣情に駆られて、漫(みだり)に合 (ごうきん)の式を挙ぐるは悖徳倫(はいとくぼつりん)のはなはだしき所為である。吾人は人のため、文明のため、彼等青年男女の個保護のため、全力を挙げこの蛮風に抵抗せざるべからず……」

「先生はその説には全反対です」と東風君はこの時思い切った調子でぴたりと平手(ひらて)で膝頭(ひざがしら)を叩いた。「の考では世の中に何が尊(たっと)いと云って愛とほど尊いものはないと思います。吾々を慰藉(いしゃ)し、吾々を完全にし、吾々を幸福にするのは全く両者の御蔭であります。吾人の情操を優にし、品を高潔にし、同情を洗錬するのは全く両者の御蔭であります。だから吾人はいつの世いずくに生れてもこの二つのものを忘れることがないです。この二つの者が現実世界にあらわれると、愛は夫婦と云う関係になります。は詩歌(しいか)、音楽の形式に分れます。それだからいやしくも人類の球の表面に存在する限りは夫婦と芸術は決して滅するはなかろうと思います」

「なければ結構だが、今哲者が云った通りちゃんと滅してしまうから仕方がないと、あきらめるさ。なに芸術だ?芸術だって夫婦と同じ運命に帰着するのさ。個の発展というのは個の由と云う意味だろう。個の由と云う意味はおれはおれ、人は人と云う意味だろう。その芸術なんか存在る訳がないじゃないか。芸術が繁昌するのは芸術と享受者(きょうじゅしゃ)の間に個の一致があるからだろう。君がいくら新体詩だって踏張(ふんば)っても、君の詩を読んで面白いと云うものが一人もなくっちゃ、君の新体詩も御気の毒だが君よりほかに読み手はなくなる訳だろう。鴛鴦歌(えんおうか)をいく篇ったって始まらないやね。幸いに明治の今日(こんにち)に生れたから、が挙(こぞ)って愛読するのだろうが……」

「いえそれほどでもありません」

「今でさえそれほどでなければ、人文(じんぶん)の発達した未即(すなわ)ち例の一哲者がて非結婚論を主張する時分には誰もよみ手はなくなるぜ。いや君のだから読まないのじゃない。人々個々(にんにんここ)おのおの特別の個をもってるから、人のった詩文などは一向(いっこう)面白くないのさ。現に今でも英国などではこの傾向がちゃんとあらわれている。現今英国の説中でもっとも個のいちじるしい品にあらわれた、メレジスを見給え、ジェームスを見給え。読み手は極(きわ)めて少ないじゃないか。少ない訳(わけ)さ。あんな品はあんな個のある人でなければ読んで面白くないんだから仕方がない。この傾向がだんだん発達して婚姻が不徳になる時分には芸術も完(まった)く滅亡さ。そうだろう君のかいたものは僕にわからなくなる、僕のかいたものは君にわからなくなった日にゃ、君と僕の間には芸術も糞もないじゃないか」

「そりゃそうですけれどもはどうも直覚的にそう思われないんです」

「君が直覚的にそう思われなければ、僕は曲覚的(きょっかくてき)にそう思うまでさ」

「曲覚的かも知れないが」と今度は独仙君が口をす。「とにかく人間に個の由を許せば許すほど御互の間が窮屈になるに相違ないよ。ニーチェが超人なんか担(かつ)ぎすのも全くこの窮屈のやりどころがなくなって仕方なしにあんな哲に変形したものだね。ちょっと見るとあれがあの男の理のように見えるが、ありゃ理じゃない、不平さ。個の発展した十九世紀にすくんで、隣りの人には置なく滅(めった)に寝返りも打てないから、将少しやけになってあんな乱暴をかき散らしたのだね。あれを読むと壮快と云うよりむしろ気の毒になる。あの声は勇猛精進(ゆうもうしょうじん)の声じゃない、どうしても怨恨痛憤(えんこんつうふん)の音(おん)だ。それもそのはずさ昔は一人えらい人があれば翕(きゅうぜん)としてその旗にあつまるのだから、愉快なものさ。こんな愉快が実にてくれば何もニーチェ見たように筆と紙の力でこれを書物のにあらわす必がない。だからホーマーでもチェヴィ·チェーズでも同じく超人的な格を写しても感じがまるで違うからね。陽気ださ。愉快にかいてある。愉快な実があって、この愉快な実を紙に写しかえたのだから、苦味(にがみ)はないはずだ。ニーチェの時代はそうは行かないよ。英雄なんか一人もやしない。たって誰も英雄と立てやしない。昔は孔子(こうし)がたった一人だったから、孔子も幅を利(き)かしたのだが、今は孔子が幾人もいる。ことによるとがことごとく孔子かも知れない。だからおれは孔子だよと威張っても圧(おし)が利かない。利かないから不平だ。不平だから超人などを書物のだけで振り廻すのさ。吾人は由をして由をた。由をた結果不由を感じて困っている。それだから西洋の文明などはちょっといいようでもつまり駄目なものさ。これに反して東洋じゃ昔しからの修行をした。その方が正しいのさ。見給え個発展の結果みんな神経衰弱をして、始末がつかなくなった時、王者(おうしゃ)の民(たみ)蕩々(とうとう)たりと云う句の価値を始めて発見するから。無為(むい)にして化(か)すと云う語の馬鹿にないを悟るから。しかし悟ったってその時はもうしようがない。アルコール中毒に罹(かか)って、ああ酒を飲まなければよかったと考えるようなものさ」

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